五蘊と無我から父の苦しみを見つめる
約二年ほどの介護期間を終え、先日父が他界いたしました。
父の口癖「お前の言うことは立派だ、正しい、でも聞かない」。正しいとわかっていて、なぜ聞かなかったのか。その問いからはじめようと思います。
二つの人生
国鉄幹部として「立派な自分」を生きた父。いい子であろうとして苦しんでいた自分。同じ屋根の下で、全く違う自己のあり方を生きていた

父は地方で国鉄に長年勤務し、機関区長や、鉄道学園の校長?(教頭だったかな)を歴任して、まあ大幹部というわけではないのだろうけど、鉄道の中で自分の位置を確立した人でした。
また退職後も地元で老人会の会長など、文句を言いながらも充実した人生を送っていました。
一方の自分はというと、大学を中退して心配をかけるは、飲食店で仕事を始めて(父からすればヤクザな仕事で)またまた心配をかけるというまあ親不孝な人生を送っておりました。
多分本当は自分が父の(つまり僕の祖父)の跡をついで国鉄マンになったように、僕にも国鉄マンになってほしかったんだろうなとは思います。
うちは親戚同士が仲が良く、特にいとこは、節目節目でよく集まり、それが父には嬉しかったのだろうと思います。

自分は飲食店を選んだこともあり時間の都合がつかず、親戚の集まりにもしばしば欠けるようになりそれが父には不満だったようです。
仕事で頑張っている、(休みが取れないくらい)こんなに必要とされていると、自分のことを認めてほしかったんでしょうね。
自分でも、正月以外休みなく働き、ほぼ一年間無休でした。
とうとう風邪をこじらせ、肺炎を発症し医者に「すぐ入院しないと死にますよ」と言われるまで、仕事にのめり込んでいた自分が好きでした。
多分その頃から、価値観の違いをお互いが感じていたのでしょう。
父と自分は違う、ずっとそう思っていた。でもこうして書きながら気づきます。
父は家族や地域という外側に自分の証を求め、自分は仕事という内側に沈んでいった。方向は真逆だけれど、どちらも『これが自分だ』という像にしがみついていた点では、同じだったのかもしれません。
我あり デカルトと父
デカルトは「疑えない自己」を哲学の礎にした。父もまた「立派な自分」という固定した自己を人生の礎にした。それは一つの強さでもあり、苦しみの根でもあった。

父にとって「自分」とは何だったのか、それはおそらく、社会人としての自分だったのだろうと思います。
仕事を一生懸命して、家族を養い立派に育て上げる、その子どもたちが孫を連れてくる、それが父の思う人生だったんだろうと思います。
対外的に立派な人と言われる自分 その役割を淡々と演じてきました。
多分父にとって、「我」という役割としての自分を大事にすることが生きる意味だったのだろうと思います。
それはまさしく、我思う、ゆえに我あり と述べたデカルトのようです。

デカルトは 「我思う」 ということに大きな意味をもたせました。
それはその時代ではまさに革命的なことでした。
それまでの教会の神学を基調とした価値観から、まさに自分が感じる価値に意味を置いた、いわばコペルニクス的転回だったわけです。
合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られるデカルトは大きな意識の革命をもたらしました。
でもね、デカルトくん 君の生まれるはるか一〇〇〇年くらい前に 「我」 なんてものはないんだよと言った人がいたんです。
諸法無我 釈迦が見つめた人の心
「我」を大事にした西洋哲学、「我」など無いと看破した東洋哲学

およそ2500年ほど前、インドの釈迦族にゴーダマシッタルダという王子様が生まれました。
王子様ですから、何不自由なく育ったシッタルダさんは、ある日、お城の外を見て衝撃を受けます。
4つの門それぞれに、今まで知らなかった世界が広がっていたのです。
三つの門にはそれぞれ 老人・病人・死者がいて、シッタルダさんは苦しみというものを初めて知ります。
残る門には修行者がいて、自分の生きる道を見つけます。
有名な「四門出遊」のお話です。
出家したシッタルダは色々苦しい修行もしましたが、苦しみの中に悟りはないことを理解します。
そして穏やかな気持で瞑想をして悟りに至るのですが、最初に弟子たちに説いた教えが「初転法輪」と呼ばれる教えでした。
その中で有名な「諸行無常」や「一切皆苦」、「涅槃寂静」とともに説いた教えが「諸法無我」です。

少しだけ「諸法無我」を説明します。
諸法無我とは
我々を司る諸々の法則は、それ自体に意思はなく、独立した「我」は無い
という教えです。
すべてのものは相互依存(縁起)の関係にあり、独立した本当の自分や私のものなどというものはない。
それはまるで、タイヤ、サドル。ハンドルなどが仮に集まって自転車という機能(法)を表すだけで、固定化した自転車は存在しないということです。
言われてみればなるほどと思います。
しかしデカルトは『我あり』と言い、父は『立派な自分』を生涯守ろうとした。
固定した自己などないと教えてくれた人はいたけど、人はなぜそれにしがみつくのか。その答えが次の五蘊にあります。
五蘊と無我 自己という幻
仏教は「自己とは五つの要素の流れにすぎない」と言う。父の息子、会社員、地域の人間……それらは全て関係の中で生まれた像であり、守るべき実体などない。うつ病の体験の中で、自分はそれを言葉ではなく体で知った
無我 我は無いということをもう少し深めたいと思います。
表題の「五蘊」とは 人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示したもの
ナンノコッチャという感じですが。
諸法無我を理解するのに少しだけ新しい考えを。
五蘊の構成要素
色蘊(しきうん): 物質的な肉体、身体、五感。
受蘊(じゅうん): 感受作用。快・不快・中性的な感覚。
想蘊(そううん): 表象・知覚。イメージや概念、ラベリング。
行蘊(ぎょううん): 意志、欲求、習慣的反応、心のはたらき。
識蘊(しきうん): 認識・意識。対象を識別し、気づいている働き。
そしてそれらは、仮に和合し人間などを表しますが、固定した「我」は無いと言う考えです。
google先生より
スマホに例えると
色蘊 : 画面、もしくは画面に映る情報そのもの。
受蘊 : 画面のタップを受け取る反応
想蘊 : タップに対しての反応に起因する内部動作
行蘊 : 実際の画面反応(アプリが開くなど)
識蘊 : 多分スマホにはない、人間独自の反応
そして父のこと少し考えてみたいと思います。
こんな感じかと思います。
想蘊として、立派な社会人でありたいという思い、行蘊として、家族の一員として、社会の一員として一生懸命生きたこと
父の色蘊(体)が老いていく中で、想蘊だけが『立派な自分』にしがみついていた。
さて自分はどうだったのか、
少しだけ自分語りを。
自分はうつ病の経験があります。
また少し前に脳梗塞も経験しました。
その時に、感じたこと うつ病で今までの人生観が壊れたという意味で識蘊 が壊れたということ。
脳梗塞で体が動かなくなるという色蘊 も壊れてしまったこと。
このときに五蘊というものの虚しさを感じたんです。
五蘊無我とも言います。固定した「五蘊」などは、固定した「我」などは無かったと、体で感じたんです。
でも、でも。
医者にうつ病と告げられたとき、ああ、もうだめなんだと思わずに、ふざけるなと反発意思が芽生えたこと。
だから多分今ここで、この文章を書いていられるのだと思います。
五蘊が壊れても、ほらここで生きていると。
父はなぜ手放せなかったのか
父の口癖「お前の言うことは立派だ、正しい、でも俺は聞かない」

父にはよく、こだわりをやめて手放してご覧、もっと楽になるよと伝えました。
その時いつも不機嫌になり、最後の締めの言葉です。
昔は、ああ俺って嫌われているんだなあと、呑気なことを考えていました。
でも「我」を手放すことは、父にとって自分の人生そのものを否定することに見えたのかもしれない。だから聞かなかった。
それは弱さではなく、一つの時代の生き方だったと今になって理解できます。
我が家では親戚の集まりがよくあり、叔父や叔母などに色んな話を聞きました。
その際口を揃えて出ていた言葉は祖父のこと、昔気質の厳しい人だったとのこと。
自分を膝に乗っけてニコニコしていたことしか覚えていないのだけど。
特に父は、長男ということもあり、随分厳しく当たられていたようで、叔父や叔母は兄貴(つまり僕の父のこと)大変だなあといつも話していたそう。
昔の家族あるあるですが。
多分それが父の生きていた時代そのものだったのでしょう。
高度成長期を精一杯生きた、祖父や父や叔父叔母たち。
だからこそこだわりをやめて手放すことは、父にとっては人生観だけでなく時代を生きた証そのものを手放すことだったのかもしれません。
頭で理解していても体感していないことで、いまいち馴染めない自分たちの世代。
そして世代のギャップは続いていくのでしょう、これからも。
多分自分に妻や子供がいないことも影響しながら。
そういった色々なことが重なり絡み合い、僕と父との唯一の関係性が育まれていきました。
自分のように病気などを縁にして、手放そうと考えた人生、生きてきた証として手放すことを拒んだ人生。
2つの人生が世界の片隅で絡まっていました。
今を生きる
施設に入ってから、2,3日ごとに電話がかかってきて、「お父様がお話があるそうです」
どうしたのというと、「一体どうなっているんだ」と怒鳴りだす。
自分の信じる世界観を大事にしていた父にとって、施設に入れられて、思い通りにならない生活は苦痛そのものだったのでしょう。
自分から入ったわけじゃないし。息子に入れられたと思っていたでしょう。
少し年上のいとこは母(つまり僕のおば)を、最後まで自分で面倒を見ました。それを見てとても俺にはできないと感じていました。
自分としては二年間介護に振り回されたと思う気持ちと、それでも国などの介護体制の充実に、本当に救われたという思いです。
自分が感じていた苦しみ
父とは本当にうまく行かなくて、もう縁を切って、知らん顔しようと本当に思っていた時期もありました。うつ病になるほどに。
仏教の教えに四苦八苦があります。
生老病死の四苦に、
愛する人と別れる苦しみ 愛別離苦
嫌いな人と離れられない苦しみ 怨憎会苦
求めても得られない苦しみ 求不得苦
人の肉体、精神からくる苦しみ 五蘊盛苦
愛する人であるはずの父親と会うことが苦しみになるというまさに四苦八苦の苦しみ
父の感じていた苦しみ
釈迦は言った。苦しみは執着から生まれると。でもその執着こそが、父の生きた証でもあったのでしょう。
自分は病気を縁にして、図らずもその執着を手放すことができました。それは自分が賢かったからでも、強かったからでもない。ただ、そういう縁があっただけでしょう。
父の苦しみを、自分の苦しみにしないこと。それもまた、仏教が教えてくれたことでした。

2つの人生が世界の片隅で絡まり、そしてほどけた。
巡る巡るよ時代は巡る、喜び悲しみ繰り返し。
そんな父との関係は一旦終わりましたが、これから少しずつ思い起こしていこうと考えています。

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