ある夏の日

母の逝去

母が死去してはや8年、年老いた父を一人にしていいのかとか、一緒に住んだ方がいいんじゃないかとか、さっさとホームに入れろとか、いろいろ姦しい声を横目に、父とは田舎の一駅離れたところでそれぞれ暮らしていました。

決して仲がいいとは言えない父との距離感がうまくつかめないまま、時だけが過ぎていきました。

そもそも8年前に東京からこちらに引っ越しをしましたが、やはりいきなり両親と同居はなあ、ともやもやしていたころ、あっけなく母が逝去しました。

帰ってきてから半年ほどでしょうか、まさか父より先に行くとは思いもよらず、色々心の整理がつかぬまま、父もしばらく一人でいいとの言葉を自分に都合よく受け取り、別々に暮らし続けたのでした。

様々な姦しい声がありつつも、それでも週一回くらい(たまにさぼって二週間に一度や月一度になりながら)父のもとに顔を出す日々が続きました。

そのころにも、何やかや思いついたように電話をかけて来るので慌てて父のもとに行き、さも大事な相談事があるように話し出しますが、ほとんど無意味な話や取り留めのない話ばかりでした。

そして自分の家に戻るときはいつも、ああ父もぼけちゃっているんだなあと思いながら、いつかは一緒に住むことになるんじゃないかと考えていたのです。

父との距離感

自分はほかの老人と深く付き合うことが今までなかったため、年寄りをわかっていたとは言えません。

だから父が典型的な年寄りだとか、こうなったら認知症だとか、(ネット上の情報は多少仕入れていたとはいえ)自分の実体験として、認知症の老人との付き合いがないため、父がどういう状態なのかはわからないのです。

もちろん一律にこうだといえるはずもなく、一人一人それぞれとは思います。

もともと強情で特に自分の息子の意見を聞きたがりません。

はっきりと、「お前の言うことは正しいし立派だけど、俺は聞かない。なぜなら・・・」

何かしらの理由があることもあり、無くて言いっぱなしの時もあり。

昔からそうだったよなあという思いもあります。

単純に息子に意見されることに耐えられないという思いもあるでしょう。

叔父や叔母から話を聞いたことがあり、父と父の父親(自分の祖父ですよね)との関係がなかなか大変だったようで、(まさしく昔の父親と息子)自分が父親からきつく当たられたから俺はそうならないといいながら、結局自分がそうなってしまうというのもそのことに深い思いがあるんだろうなと思います。

父から離れるのが目的で、大学も東京の大学を選びました。

東京で一人暮らしをする中で、父との関係に悩みうつ病にもなりました(もちろん、仕事や人生そのものに悩んでということですが)。

もう田舎に帰るのは、まして父と同居することはあり得ないとずっと考えていました。

母の言葉

それでもやはり戻ろうと思ったのは、母のそばにいたいと思ったからです。

結局東京で結婚もせず一人で生きてきて、今更誰かと一緒に暮らすことはとても考えられません。

でも何かがあった時のために、そばにいたいと思ったのです。

まだ向こうにいる頃、時々帰省をするとほぼ必ず父と言い合いをしました。

親としてはそれでもたまには帰って来いというのでしょうが、息子は、嫌な思いをしてまで帰りたくないとますます距離ができてしまいます。

母はそんな二人を見て胸を痛めていたと思います。

しかしある日母が、「最近のお前はあまり怒らないでお父さんの話聞くようになったね、変わったね。」と言ってくれました。

うつ病になったり、一人で生きていく中でいろいろ考えることがあった自分の変化を見てくれている人がいるんだなあと何か心のよどみが少し落ちたような気がしました。

帰ろう、一緒には住まないけどせめてそばにいようと思った一番の理由です。

そんなある夏の日

そんなある夏の日、父が家の中で倒れていました。

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