「疑えない自分」という言葉への違和感

父は「作り上げた自分」を最後まで手放さなかった。
そのことと「疑えない自分」を手放せなかったヨーロッパの衰退が重ね合わさって見えてきます。
デカルトを始めとした近代西洋哲学と現代のヨーロッパの凋落の関連性。
今こそ立ち止まって、仏教の概念、古くからの日本をどう取り入れるかが問われています。
その感覚はどこから来たのか、デカルトへ

自分が感じてきた違和感を紐解いてみます。
その一つがデカルトから始まる西洋哲学の影響力。
真摯な思考を続けたが最後に見つけた「疑えない自分」にとらわれたデカルト、
そしてそこから離れられなかったヨーロッパ。
現代の価値観、それは作られたもの
伝統を否定した国々、アメリカは民主主義そのものを伝統にしようとし他国に強要します。革命や敗戦から目を背けたドイツやフランスは過去との断絶を選んだ。
一方、敗戦しながら天皇制を手放さなかった日本、憲法を文面化せず不文憲法として伝統を生かし続けるイギリス。
もちろんそんな単純なものではありません。
しかし、伝統を価値観の基本としたか、思考を価値観に置き換えたか、目に見えないその国の本質、目に見えない背骨のようなものが見えるような気がします。
近代西洋哲学の成立 プラトンからデカルトへ

ソクラテス、プラトン、アリストテレス
プラトンの時代、ギリシャ哲学(古代ギリシャで興った西洋思想・科学の基礎)
「知を愛する」活動で神話から理性(ロゴス)へ価値観を転換しました。
そのことは西洋思想の基盤として今も脈打っています。
デカルトと西洋哲学
「近代哲学の父」と称され、彼の思想は、中世的な宗教的世界観から、人間中心の理性的な世界観への転換を成し遂げました。
コペルニクス転回はのちのカントが使った言葉ですが、まさしくデカルトのやったことはコペルニクス転回と呼べるものでした。
大きく以下の4点にまとめられます。
1. 理性主義・合理主義(Rationalism)
2. 機械論的世界観と自然科学の発展
3. 心身二元論(Mind-Body Dualism)
4. 近代的個人の確立と主体性
何となく今の価値観から大きく変わっていないようにも思えます。
結局ギリシャ哲学は古代神話からの脱却、近代西洋哲学はキリスト教的価値観からの脱却という同じ構造だったのだろうと思うのです。
もちろん現代文明を作った基礎教養としてのギリシャ哲学、近代西洋哲学の担った大きな役割は否定できるものではありません。
ではその次は!? いまこのことを考える時期なのではないのか、そんなつぶやきが少しづつ大きくなっています。
西洋的自己観の限界

西洋的な価値観とそれがもたらす2つの大きな組織の問題を見てみます。
EUはその価値観への執着ゆえに硬直化し、国連はすでに機能不全に陥っている。どちらも『正しい自己』にしがみついた結果でしょう。
では世界の国はどうか、
1. 中国:強権で無理やり体制を維持している限界
2. ロシア:過去の大国という亡霊から抜け出せない
3. ヨーロッパ各国:制度の疲労と分断
4. アメリカ:極端な二極化と内向き志向
同じ根っこで苦しみあがいています。
では仏教はどう言うか、次回へ

デカルトを中心とした近代西洋哲学が、今に貢献したものは計り知れません。
時代を牽引し続けました。科学や産業革命や戦争というツールとして。
しかしそのものが含む矛盾や、齟齬に我々は苦しんでいます。
固定した自己を守ろうとするほど、苦しみは深くなる。父を見ていてそう感じた。そして世界を見てみる。
父一人の話では済まない。世界もまた、同じ苦しみの中にいる。次回は2500年前にその答えを出した人の話をしようと思います。

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