のんびりとした夜更けに、珈琲とyoutube
美味しいコーヒを飲みながらyoutubeやprimevideo見るのってちょっとした贅沢ですよね。

仕事とは違う時間、もしかしたら、ただの時間つぶしでしか無いかもしれない、でもとても大事な時間。
珈琲が好きなので、A Film About Coffee(ア・フィルム・アバウト・コーヒー)というのを見つけて、のんびり見ていました。
昔珈琲店にも勤めていたなあ、今はブログなんか書いてる、ずいぶんかわったなあと、とりとめの無いことをつらつらと。
もう後半に差し掛かったところ、突然目を奪われました。
あ、ここだ。思わず声が漏れました。
昔書いた文章があったはず、とPCを調べたら10年前の文章が出てきました。
10年前の文章をご覧ください。
珈琲と東京の時間
まだ大学生のころ、先輩に連れられて珈琲店に行きました。
銀座のカフェドランブルというお店です。
コーヒー好きなら知らない人はいない有名な店です。
何度か通ううち、なぜか突然俺の人生は珈琲じゃと考え、大学を辞めて珈琲店に勤めようと考えました。
ばかですねぇ。
でも自分の人生を考えたのは初めてのことで、なんだか大事なことだと思ったんですね。
ではどこに勤めようかといろいろ考えました。(さすがにランブルは恐れ多くて雇ってもらおうとは思えなくて)
本などを頼りに(その頃は web などはなくて、検索という言葉のない時代ですから)、四谷三丁目にあった珈琲男爵というお店に雇っていただきました。
もちろん珈琲は好きで分厚い本を片手に(片手で持てるような本ではないけれど)東京のお店色々歩きました。
吉祥寺のもか、本郷三丁目の和田珈琲店、新宿の自家焙煎珈琲 凡、早稲田のあんねて珈琲店、日本堤のカフェ・バッハ
忘れられない素晴らしいお店は色々ありますが、そのころ一番のお気に入りだったのが、青山にある大坊珈琲店でした。
贅沢な時間
「琥珀色の光」の具現化 「ネルドリップ」の質感 「ジャズ」の視覚化
geminiさんにお願いして、イメージを生成してもらいました。大坊珈琲店で過ごす時間は、贅沢な時間という言葉がしっくりします。
彼女ができるとここに連れて行き、なぜかすぐ別れるのが続いていてもこの店に行くのが楽しみでした。
常連とは呼べない客でしたがマスターは覚えてくれていて、一言二言話すのがとてもうれしく、いつもカウンター真ん中の席で大坊さんが点てる珈琲をぼんやりと眺めるのが好きでした。
しばらく伊豆で仕事をしたころがあり、なかなかいけない時も、行くといつも大坊さんが話しかけてくれました。
長話をするわけでもなく、すぐに大坊さんは焙煎をしに裏に行きます。ジャズが流れる店内に焙煎しているコーヒーの香りが漂います。
どんな贅沢よりあの頃の私には贅沢な時間でした。
あれ?二階に看板がない
数年前のこと、なかなかいけない日々が続き、久しぶりに行ってみると、新しいビルができていました。
そういえば工事していたなあと思い出し、
あれ?二階に看板がないぞ。
なんとなく大坊珈琲店はいつもあそこにあるものと思っていたんですね。根拠は無いけれど、そう思っていました。
慌てて一階の眼鏡屋に聞いてみてもわからないとそっけなく(客じゃないから当たり前ですね)呆然と原宿駅まで歩きました。
飲食業に従事し、勤めていた店が閉店することもあったのに、なぜか大坊珈琲店がなくなっていたことにこんなに動揺するとは自分でもびっくりしました。
そのくらい自分にとって大事な店というより大事な空間だったのですね。
私にとっての東京は、大坊珈琲店だったな
四谷三丁目のカフェドクリヨン、赤坂のコヒア・アラビカ、目黒の大崎珈琲店
自分にとって大事な店はほかにもありますが、たぶんなくなってもこれほど動揺はしないと思います。
大学に入るため東京に出てきてそのころからの付き合いですから、私にとっての東京は大坊珈琲店です。
そのくらいの思い入れのある店も、もちろん私とは関係なく変化してゆきます。
世界は変化し続ける。人もまた生きるということは変化することですね。
もちろんそれは
A Film About Coffee(ア・フィルム・アバウト・コーヒー)にでてきたお店、もちろんそれは青山にあった大坊珈琲店でした。
蘇る珈琲の香りとjazzの調べ
10年前の文章を久しぶりに読み直し、久しぶりにお店を見て、久しぶりに大坊さんにお逢いしました。
大坊珈琲店に流れる時間を感じるとき、いま東京にいるんだなあと。
東京は私にとって、いいことばっかりではないんだけど、父の影響で引っ越しばかりしてきた身としては、一番長く住んだということで、ふるさとというような不思議な感覚なのです。
そして何より、地方の近い人間関係ではなく、周りは他人だらけという孤独なのは私だけじゃないという感覚。
この感覚は自分にとってとても心地よいものでした。
せっかくだからと、オスカー・ピーターソンの 「We Get Requests」 を(すでにCDはないため)youtubeで探して、聞きました。
残念ながら、大坊さんの珈琲は手に入らないため、スーパーで買った安いコーヒーを点ててゆっくり飲んでます。
あ、いまちょうど「The Girl From Ipanema 」だ。
jazzは知らない曲のほうが多いけど、この曲がお店でかかったとき嬉しかったなあ、リクエストじゃないと思うけど、この曲を聞いていたときのこと覚えてる。
大坊珈琲店も無常の中
諸行無常の理(ことわり)の中で、世界は片時も止まることなく変化し続けます。
大坊珈琲店のあの階段も、二階の看板も、焙煎の煙が染み付いた壁に飾られた007の本も、今はもう物理的には存在しません。
けれど、諸法無我――すべての現象は縁(えん)によって繋がり、形を変えて現れる。
インターネットもなかった時代に、重い本を頼りに足で探したあのお店に、今、マウスクリック一つで再会できる。
10年前に書いた私の稚拙な文章が、デジタルの海を漂い、今の私に「あの時の空気」を思い出させてくれる。
物理的な店はなくなっても、私の「東京」という記憶のOSの中で、大坊珈琲店は今も大切なプログラムとして走り続けています。
オスカー・ピーターソンの「イパネマの娘」を聴きながら、スーパーで買った安いコーヒーを啜る。
贅沢とは、物の値段ではなく、こうした「繋がり」に気づく心の静寂にあるのかもしれません。
変化し続ける世界の中で、変わらない記憶と再会できたこと。
うん、いま私は、とても幸せなんだな。



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