そんなある夏の日
前日に相談したいことがあるからと電話があり、正直またいつもの話かとうんざりしながら自転車に乗り父の自宅に向かいました。
「これから向かうよ」と連絡をするために電話をしたのですが、電話には出ませんでした。
たまたまトイレにでも行ったかなと思いながら自宅に向かいましたが、家の鍵がかかっていました。
もちろん自宅の鍵はもっているのですが、家のドアは外からかけるカギで開けるロックと、内からかけるロックがあるちょっと変わったドアです。
そして中からかけるロックは外からカギで開けることができないのです。
たまたま向かいの隣人がいたので相談してみると、ガラス割ってでも入ったほうがいいよとのこと。
自分もそう考えていたので躊躇せず、家の横にある洗濯所の窓を割って家の中に入りました。
家の中は暑かった
廊下に散らばったガラスの破片を踏まないように居間に向かいました。
濡れた畳の上に倒れていた父。そして冷房もついていなかったためムッとする部屋。
床で眠っていたのとは明らかに違う気を失って倒れた姿勢、手には空のコップ、これがこぼれていたんだなと思いました。
見た瞬間、ああまだ生きているとホッとしました。ゆっくり胸が上下し、顔も赤みがさして、いやに健康そうに見えました。
家の鍵を開け、お向かいさんに入っていただき、すぐに救急車を呼びました。
すぐに救急車が到着し乗務員の方が、「暑さによる脱水症状と思いますが、急ぎで病院に搬送します。」
とのことで、同乗して病院に向かいました。病院に着いて点滴をしている途中で本人も目を覚ましましたが、混乱しているようで安定剤を飲んで落ち着かせました。
一体どうなっているんだ
入院の手続きをしている途中たまたま、病室に向かう父とすれ違いました。
「一体どうなっているんだ」と怒鳴りだしました。
たぶん倒れていたこともわからず、気が付いたら知らない天井で、つぶやく余裕もなく、周りの人は知らない人ばかりで、そんな中自分を見つけてほっとしたのと、急に怒りが湧き出てパニックになったんだと思います。
家の中で倒れていたから入院したことを話し、今日はゆっくり休みなさいと話をし、また来るからと約束して、病室に向かわせました。
折からのコロナ騒動で(個人的には騒動自体が愚かなことだと思っています)面会も手続きが大変で、予約が取れたのも1週間後です。
倒れていたとはいえ、心配はあまりありませんでした。まあ大丈夫だろうなという思いがありました。
ずっと父をそばで見てきて、言葉にならないまだ大丈夫感がずっとありました。
>言葉にならないまだ大丈夫感<
自分で使っていてなんてあやふやな言葉なんだろうとは思います。
レッテル張りをはがして行こう
もうすぐ98歳、もしかしたらもう少し心配したほうがいいのかもしれません。年齢を基準にしたあーだこーだというレッテル張りにうんざりしています。
「もう90歳を超えた田舎の老人なんだから」 とか 「年寄りなんだから、免許取り上げろ」とか 「長男だから一緒に住むのは当たり前」とか
父のそばで父を見ている人間は世界の中で自分だけだと思っています。だから今は自分のことを信じて父のことを見ていきたいと思います。
時々不安になることいっぱいあります。この先どうすればいいか何も正解が分かっていません。
でもおそらく今までの生涯の中で、一番父と一緒の時間を過ごしています。おそらく東京に住んでいて、よし、田舎に帰ろうと思ったとき、こんな状態を想像できていませんでした。
おそらく おそらく おそらく 未来のことは誰も想像できません。もしあの時こうなるとわかっていたら、自分は逃げ出したかもしれません。
でも今この状態、少し楽しんでいる自分がいます。今まで避けていた父との関係、この先どうなるか、少しだけ楽しみにしています。
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