高市さんが総理大臣になったと思ったら、公明党が与党を離脱し維新の会が与党に合流、あれよあれよという間に新しい政治の流れが成立しました。
私個人の政治論ではなく、自分の体験の話、今感じることを書いておこうと思います。
このブログのあり方にも通じると思うので。

宗教教団が政治結社を作る意味
じぶんとのなれそめ
宗教団体とはもちろん創価学会のことであり、政治結社は公明党です。
私は大学時に友人のすすめもあり、創価学会にしばらく在籍しておりました。
まあ決して熱心な信者とは言えないのですが、学生時代、社会人時代のはじめの頃は、それなりに活動に明け暮れておりました。
特に、宗教は信じるものだという私の思い込みはいい意味で裏切られます。
創価学会において、教学といういわゆる仏教や日蓮正宗の理論をかなりしっかりと学習します。
教学試験という内部試験もあり、理論的背景はかなりしっかりしていたと今では思います。
その割に、日々の活動の集会の中では、信じることを求められたような気はしますが。
宗教活動と政治活動
ざっくりというと日々の活動は、勤行、唱題という自分自身の修行と、布教活動、選挙活動に大きく分けられます。
修行と布教活動はわかります。
でも選挙が近づくと集会が選挙活動に変わる。その違和感はずっと消えませんでした。
本気で公明党を支持しているなら、それは個人の自由です。でも組織の号令で動くことと、自分で考えて支持することは、全く別のことです。
山口体制以降、与党にいながら与党として機能しているように見えなかった。
仏教用語で言えば破和合僧、内側から和を乱すような姿に、誰のための政治かと感じ続けていました。
ただそれが、私が政治というものを考え始めるきっかけになったのも事実です。
創価学会が公明党を作った意味
宗教団体が政治団体を作る意味は、その教団が掲げる理念や宗教的価値観を国家権力や政策決定の場に直接反映させ、社会を自らの理想とする形に近づけることにあります。
きれいな言葉なんですが、問題はその教団が掲げる理念や宗教的価値観は普遍的な価値ではないということなんですよ。
もちろん、日本国憲法第20条では「政教分離」が定められていますが、これは「国家」が宗教的中立性を保つことであり、宗教者や宗教団体が政治に参加する権利は「結社の自由」として保障されています。
しかし公明党の話をすると必ず政教分離の話が出てくるのは、誰も納得できていないからなんでしょうね。
つまり公明党が与党にいることで、宗教団体が自分の理念を実現するために、過度な「政治上の権力」を行使しているように見えるからでしょう。
だから今回の与党離脱は公明党にとってよかったと思います。
自分の政治信条が、連立与党相手と違うなら離れるのがお互いのためです。
今回の与党離脱で、その構造が少し変わりました。どこに向かうのかしっかり見届けたいと思います。
公明党が残したもの
大きく言って2つでしょうか、財政政策と、国土交通省政策
積極財政をことごとく潰してきたのは、理念からの流れでしょう。
公明党の財政政策は、「生活者目線」を重視し、行政改革によるムダ削減で財源を捻出し、財政の健全化とEBPM(エビデンスに基づく政策立案)の推進を掲げています。
そしてそのことが日本に失われた30年を作った一因だと思います。
また国土交通省の弊害は、巨大公共事業予算を背景にした選挙目当ての利権構造化、特定の対中姿勢による外交リスク、自民党内からのポスト奪還要求といった政治的バランスの偏りが挙げられます。
個人的には特定の対中姿勢による外交リスクが一番大きいと感じます。
あれだけ問題のある中国に対して、なぜ親和性を持っていたのか、根本は第三代会長の行った中国との国交回復を否定できなかったことだと考えています。
まさしくそこが、宗教団体であることの弊害、つまり先代が間違ったことを認められない、今の中国が、毛沢東を礼賛するがごとく。
果たしてこれが中道と言えるのかは、それぞれ考えることだと思います。
中道って何!?
中道とは、保守、革新 その中間という意味ではありません。
もともとは仏教用語で、お釈迦様が悟りを開いたとき、それは快楽主義ではなく、断食などの苦行でも見つけられなかったのが、穏やかな気持ちで瞑想をする中で見出したものでした。
極端の反対語としての中庸に近く中間という意味ではありません。大韓帝国の大は大きいということですが、中華の中は大中小の中ではなく中心の中です。
中という文字にはcenterとmiddleの意味を両方持つことが混乱を招きますが、今回の混乱は、根っこの部分がここにあリます。
仏教用語を無理に政治用語として使ったことが、保守、革新 その中間(つまりmiddle)という意味に取られたことが一つ。
保守も革新も極端な考え、中道(つまりcenter)を標榜する我々こそが、中庸の穏やかな判断ができる政党という嘘くささが2つ目。
保守、革新、中道というもともとの政治信条があるのにその中道を使って仏教用語だと言い募ったこと。
実際問題、自民党の一部だけがかろうじて保守で、それ以外はすべて左翼というある時期の日本の政治は異常でした。
だから世界の基準から見れば左翼に位置する公明党も、中道と名乗ることができたのでしょう。(名乗ったから認められたとは思いませんが)
公明党が自分を中道と勘違いしていたこと、立民がそれを信じて合流したこと。でも周りはそう見ていなかったこと。
さてさて、中道を名乗るあの政党、どこに向かうのかしっかり見届けたいと思います。
自分で考えましたか
私は公明党が選挙を左右するという状況に、ずっと違和感を持ち続けていました。
それは何を意味するのかといえば、多くの人が自分の政治信条ではなく、組織の号令で投票した人がいたということ。
公明党の支持者が公明党の政策を支持するのは当たり前です。でも創価学会の人が、公明党を支持するのは当たり前ではありません。
創価学会で学んだことの中で一番大切だったのは、自分の頭で考えることでした。
その教えを本気で実践した結果、皮肉にも創価学会をを離れることになりました。
公明党支持している方、それは立派です。私の考えとは違うけど、それは支持します。
でもね、自分で考えて決めましたか。

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