ニュースや巷の消費税議論はいつも不毛な叩き合いになりがち。
消費税議論が不毛な対立になりやすいのは、財政再建や社会保障の維持(負担増を重視)と、物価高対策や景気刺激(減税や給付を重視)という、どちらも正論である「異なる正義」が衝突するためなんだろうけど、本質はどうやらそこになないのかもしれない。
立場の違いによる正義の衝突があります。 減税派は「物価高から生活を守るべき」と訴え、財政再建派は「将来世代への負担先送りや社会保障の財源が危うくなる」と危惧します。
もちろん政治は権力のるつぼで、政治の道具としての立場や 選挙の公約や政局の駆け引きとして消費税率が利用されるため、政策の是非よりも党派間の「勝ち負け」に議論の焦点が移りがちです。
そうなると、本当に国のことだけを考えていっているのか、自分のために動いているのか疑問になることがありますが、あえて「反対している人たちが悪意を持っているわけではなく、そもそも国財政の根本的な捉え方に『勘違い』があるのではないか」という立ち位置で考えてみようと思います。
なぜ消費税の議論は平行線をたどるのか?
財源論が解決したうえで考えること、それは「実は双方とも、国や暮らしを良くしたいという誠実さを持っている」という前提にあります。
政治家がすべて誠実で、国のことだけを考え奉仕していると信じてはいません。
選挙の公約や政局の駆け引きとして使っている人は間違いなくいます。
それでも日本の政治家を信じているのは、自分の考えは正しいし、その通りにすれば国がよくなると信じてはいると思うのです。
だからこそ、「反対派の意見は悪意ではなく『誠実さゆえの勘違い』から来ているのではないか」という側面も見ていかないと見えないものが出てきます。
国財政をめぐる「4つの勘違い」
私たちが囚われている大きな勘違いを、4つのステップで解きほぐしてみます。
1.「家計簿の発想」という勘違い
「入った分(税収)しか使えない」という家庭の感覚を、通貨発行権を持つ国(政府)にそのまま当てはめてしまう勘違いです。
独自の通貨(円)を持つ主権国家は、自国通貨建ての国債で破綻(デフォルト)することは理論上ありません(いわゆるMMT等の知見でも語られる通りです)。もちろん無限に発行すればインフレを起こすためコントロールは不可欠ですが、家計簿を預かる主婦と政府の一番の違いは「通貨発行権があるか・ないか」なのです。
2.「社会保障の財源」というラベルの勘違い
「消費税=社会保障のため」というストーリーが定着していますが、本来の税の役割は単なる「財源確保」ではなく、「需要(景気)の調整」や「格差の是正」です。
「社会保障のため」という説明は、増税を納得させるためのラベルに過ぎないという見方もあります。
3.「直間比率の適正化」という名目の勘違い
消費税は所得に関係なく一律にかかるため、低所得者ほど負担感が重くなる「逆累進性」を持ちます。
取引のたびに課されるこの税制は、経済活動や民間の営みを冷やし続ける構造的なブレーキになっています。
4.【最大の勘違い】「発行した国債(借金)は返さなければならない」
そして最も根深いのが、「借りたものは返さなきゃ申し訳ない」「後世にツケを回してはいけない」という、真面目な日本人ならではの美徳が生み出す勘違いです。
財源論は、この図解ひとつで終わってしまう

※本図解は、エコノミスト・会田卓司氏の提唱する歳出構造の比較試算を参考に、筆者が独自に作成したものです。
参考動画・資料: [弁護士北村晴男ちゃんねる /
[https://www.youtube.com/watch?v=mCTiUzW3zsQ&t=1s]
そもそも「国の借金は国民一人あたり〇〇万円」などと言われますが、国債は国民の借金ではありません。国の債券です。
国は税金を集めてから運営しているのではなく、国債を発行してお金を世の中に供給し、運営しています。国にあるお金(通貨)は、国債によって生まれているのです。
つまり債券とは借金ではなく、お金を作る道具なのです。
景気が良くなり経済が回るためには、市場にお金が必要です。それを「借金だから」と返済してしまえば、世の中からお金が消え、ただ不景気になっていくだけです。
ここが分かれば、国債の「債務償還費」を無理に返済する必要がないと理解できます。
会田卓司氏の図解にある通り、歳出の15%を占める債務償還費をグローバル・スタンダード(諸外国の基準)に合わせて計上しないだけで、財源の問題は綺麗に解決してしまうのです。
「〜すべきだ」という呪縛(『自分の幻影』との対比)

かつて生前の父が苦しんでいたことについて、以前ブログに書いたことがあります。
親の期待や「世間的に正しい生き方」という価値観に応えようと、自分を縛り、葛藤していた父。そして、そこに応えようと苦しんでいたかつての自分。
テレビの画面越しに見る石破さんの表情を見ていると、なんだかとても苦しそうに見えることがあります。
悪意を持って国を動かそうとしているのではなく、むしろ誰よりも生真面目で、「こうあるべきだ」「財政を守らなければならない」という強い責任感と正義感を持っているからこそ、ご自身が作ったその「正しいとされる幻影」の中で、もがいておられるように感じるのです。
その姿は、かつて「世間の正しさ」という呪縛の中で苦しんでいた父の姿と、どうしても重なって見えてしまいます。
生前、父は私に「お前の明るさに俺は救われる」と言いました。
自分で作った「正しさ」や「世間」の呪縛の中で苦しんでいた父を救ったのは、正しい理屈や我慢ではなく、ふっと肩の力が抜けるような「明るさ」だったのだと思います。
テレビの画面越しに見る石破さんの表情を見ていると、なんだかとても苦しそうに見えることがあります。
悪意ではなく、生真面目さや責任感ゆえに、「こうあるべきだ」という幻影の中で一人で重荷を背負っておられるように感じるのです。
石破さんも、高市さんの持つようなあの「明るさ」に救われたらいいのになあ、とふと思いました。
父の望んだ道とは違う生き方を選んだからこそ、今の私には見えてくるものがあります。
それは、数字や呪縛に縛られるのではなく、本当の意味で人々の暮らしや営み(世間)を温かく循環させるための、税と国のあり方です。
国債と消費税の仕組みがしっかり解きほぐされたとき、私は胸のつかえが下り、静かな幸せを感じました。
政治家の皆様、これからもよろしくお願いします。



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