「すぐバレる嘘をつく政治家の心理」
現代の情報流速、自己弁護、言葉の軽量化という卑近な人間の心理と構造の分析。
政治家から見た嘘をつくという現代の日常・病理
「すぐバレる嘘」をつき続ける3つの構造と心理
いま、youtubeでいろんな政治家が、消費税減税に反対と話しているのですが、あれあんた選挙の時、消費税減税しますって言ってたよね。なんて話は枚挙にいとまがありません。
やはり政治家は嘘つき、特に公約と違うこと言うのはまずいだろ、ということはよくあるのですが、なんで政治家は平気でうそをつくのって素朴な疑問があります。
それぞれ構造と心理に分けてみてみようと思います。
「信者(内輪)」に向けた記号としての言葉
構造: ネット全体でバレるかどうかはどうでもよく、「いま自分の支持者(コア層)が聞き心地のいい言葉」を吐くことを優先している。
心理: 客観的な「真実」よりも、身内の「熱量」を維持することが目的化している。全体に向けて嘘がバレても、支持者が「あれはメディアの歪曲だ」「必要な方向転換だ」と擁護してくれれば成立してしまう心理。
情報の過剰供給が生む「忘却の構造」
構造: 現代はタイムラインの流速が速すぎ、今日ついた嘘も、明日新しいスキャンダルやノイズが発生すれば上書きされて消える。
心理: 「どうせ明日には誰も覚えていない」「次のノイズを投げ込めば流される」という、現代の情報空間の「記憶の短さ」を悪用・学習してしまっている心理。
「感情を煽るツール」としての言葉(事実の軽視)
構造: 言葉を「事実を伝えるもの・約束」ではなく、「その場の感情(怒り・期待・安心)をコントロールするボタン」としてしか見ていない。
心理: 目的(票や注目を集めること)さえ達成できれば、通過点としてつかった言葉が嘘になろうが関係ないという、言葉に対する圧倒的な軽視。
ファクトが可視化された世界で、なお平然と嘘が撒き散らされる構造
三つに見てみた中で、やはり残る違和感。
そもそもなぜ私たちはうそをついたことを認識するのか、それはネットなどで過去の発言がすべて見ることができ、誰でも簡単に確認することができるのです。
やはりこれが大きいでしょう。
ネットが暴く「言葉の矛盾」
昔なら誤魔化せたかもしれない公約破りや言動の矛盾が、いまやYouTubeやSNSのアーカイブによって瞬時に比較され、暴かれる時代。
にもかかわらず、政治家たちは相変わらず平然と嘘をつき、撤回し、前言を翻す。この奇妙な違和感。
不思議だと思いませんか、その嘘ばれるんですよ。いったいどのタイミングでそのことに気づくんでしょうね。
つまり覆すつもりで初めに言った時ですか、それとも実際に覆した時ですか、どこの言葉が本当で、いつの言葉が嘘ですか。
「嘘がバレるリスク」よりも優先されているもの

なぜ「バレたら恥ずかしい」「信用を失う」という当たり前の感覚が機能しないのか。
全体への誠実さではなく、特定のターゲットに対する「その場のパフォーマンス」として言葉を発している心理。
とはいえ、稲田さんなど、明らかに覆したことで、損をしているようにも思えます。
特定のターゲットが本当に意見を翻すことを期待していたのか。
メディアとSNSが作り出す「流転するノイズ」
嘘が暴かれても、メディアやSNSはそれを深掘りして正すのではなく、単に「燃え上がるエンタメ(刺激的なノイズ)」として消費して終わりにする。
次から次へと新しいノイズが投げ込まれることで、嘘をついた本人は「逃げ切れる」と味を占める構造。
そもそも論として、マスメディアはある強い政治的志向を表す場合もありますが、ただ単に受けがいいからと判断して正義感や倫理性を無視して作るコンテンツもあります。
ある日に何も事件が起きなかったら、それはマスメディアにとっては、今日は何もありませんでしたとは言えないわけです。
何かしら人の感情が揺り動かされるようなものを見つけ出さなければならない。そうしなければ、そのメディアを見る人はいなくなります。
つまり悪い言い方をすれば、人の不幸が飯の種という何ともやるせない職業なわけです。
見つけられなければ、作るほかはない。
だから新しいネタが出てくれば新しいものに飛びつき、なければ古いネタをこねくり回すといういつもの循環が起こるわけです。
軽くなった言葉の海で、どう思考を守るか
そうなればその言葉はもはや報道ではなく、こねくり回されて原形をとどめていない何かが、漂うように消費されます。
誠実さを欠いた言葉と、それを煽るメディアの狂騒。
そのバカバカしい虚構の渦から一歩引き、軽々しい言葉に自分の感情を奪われない「静かな自分の目」を持ち続けることの大切さ。
言葉にすれば、美しいですが、なんとも難しいことではあります。
政治家を例には出しましたが、これは今を生きる我々すべてに当てはまる悲しい人間の肖像といえるのではないでしょうか。
明らかになってもそれでも嘘をつかなければならない定め、一度ついた嘘は、嘘で塗り固められ、つき続けなければいつか壊れてしまう「砂の器」のように。
いやーいろんなバージョンがあるのですが、やっぱり丹波哲郎と森田健作のコンビが一番いい。
映画の始まりにまさしく子供が一生懸命砂の器を作り、それが崩れていく。
そんなシーンから始まる、嘘をつき続けるために犯罪を犯す傑作映画です。

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