なぜ日本の老人は自分は不幸と感じているのか 二の矢は痛いものだ

夕暮れの海を眺める老人 父が壊れた

もちろん、そんな一言で言い表すのは乱暴ですが、やはり日本の老人は、不幸を感じている方が多いような気がします。

リートンさん教えて

リートンというAIに質問してみました。

日本の高齢者が不幸を感じる理由はいくつかあります。主な要因として以下の点が挙げられます。

  1. 孤独感: 高齢者は家族や友人との関係が希薄になりがちで、孤独を感じることが多いです。
  2. 経済的な問題: 年金だけでは生活が難しい場合があり、経済的な不安がストレスの原因となります。
  3. 健康問題: 加齢に伴う健康の低下や、慢性的な病気が生活の質を下げる要因になります。
  4. 社会的な支援の不足: 地域社会や行政からの支援が十分でない場合、孤立感や不安が増すことがあります。
  5. 役割の喪失: 退職後、自分の社会的な役割を見失うことがあり、自己価値感が低下することがあります。

これらの要因は相互に影響し合い、高齢者の不幸感を高めることがあります。社会全体での支援や理解が求められています。

多分多くの人も想像できる答えかと思います。

父のことを考える前から、なんとなく日本の老人は他国に比べ不幸を感じているんじゃないかと漠然と感じていました。

もちろん自分がそういう環境にいるわけではないし、一人で生きているということで多分多くの人より、実体験として老人を感じてはいないのですが、でも何となく日本の老人は不幸を感じているんじゃないかと考えていました。

ネットでの情報が多いかもしれませんが、一番はやはり父の考え方、世界観にずっと違和感を感じていたのだろうと思います。

親子だから同じ考えではない

自分は今でこそ能天気で何とかなるさという生き方ができるようになりましたが、やはり若いときはネガティブな考えが基調だったと思います。

大きな起点になったのはやはりうつ病になったことでしょうか。

うつ病になったことで見えたもの

あくまでも自分の体験での感じ方を書きます。実際はもっと精密な判断をすると思いますから。

たぶんすごくネガティブなことを先生に訴えていたんだろうと思います。だから正式な病名としてのうつ病ではなく、うつ病のような精神状態ですねという意味だったんじゃないかと。

ただその時、自分はもう駄目だというような落ち込んだ気分ではなく、うつ病と診断されたことに対して、ふざけるなという反骨の気持ちだったような気がします。

まあ実際カルテに書かれて、しばらく心療内科に通いましたけど、通ってよくなったなあとは少しも思えませんでした。

つまり通って効果があったという体感より、いったい何やってんだ俺は みたいないろんなことに腹を立てていたような気がします。

きっとこの時こういう考えができたから、今こうして生きていけるんじゃないかとは思っているのです。

今でも何かあった時その状況に浸り不幸を味わうより、少し離れて自分を見ることで、何とかなるという根拠のない自信が生まれてくるのです。

施設にいる父との会話

施設に父に会いに行くといつも、「もう生きていてもしょうがないんじゃないか」と私に問いかけます。

自殺したいとか、そんなんじゃないんだろうなあ、ただ思い通りにならないのが、うまく言葉にできないんだろうなあと。

きっと一生懸命生きてきて何が悪かったんだろうと考えているんだろうなあと。

そしていつも「お前の明るさに俺は救われるよ」といいます。

うつ病になったことでつかめたのかもしれないこの生き方は、ある意味自分の宝だと思っています。

まさか父に自分の生き方を押し付けるつもりも無いけれど、この考え方ができるようになったことは、何とかわかってもらいたいものです。

リートンさんと一緒に考える

AIと話すモンタル君

せっかくだし先に上げたリストを少し考えてみようと思います。

  1. 孤独感: 高齢者は家族や友人との関係が希薄になりがちで、孤独を感じることが多いです
    ここは自分にも当てはまるところです。つまり自分は父がいなければ家族がいなくなります。
    その時果たしてどう感じるんだろうということ。
    そして父にとって一番のダメージはやはり先に母に逝かれたことでしょう。
  2. 経済的な問題: 年金だけでは生活が難しい場合があり、経済的な不安がストレスの原因となります
    長く国鉄に勤めていた父は、手厚い年金もあり、経済的な不安はないでしょう。
    実は昔詐欺にだまされ、かなり取られたのですが、今でも無駄な出費をしなければ、まあ大丈夫と思います。
     ただ、近くにいくつも家を持っていて(もちろん妄想ですが)、勝手に誰かが住んで、お金も払っていないとよく言っていました。
  3. 健康問題: 加齢に伴う健康の低下や、慢性的な病気が生活の質を下げる要因になります
    医者に連れていくと98歳とはとても思えない、と言われますが、足元もおぼつかないし、認知症も進んでいます。
    ただ本人は健康に大きな問題はないから、もう施設を出て一人暮らしをしたいといつも言います。
  4. 社会的な支援の不足: 地域社会や行政からの支援が十分でない場合、孤立感や不安が増すことがあります
    他を知らないので十分か、足りていないかな判断できませんが、少なくとも昔に比べ行政の充実は進んでいると思います。
    昔なら家族に多くの負担がかかっていたのが、今では公的機関の補助体制は十分あると感じています。
  5. 役割の喪失: 退職後、自分の社会的な役割を見失うことがあり、自己価値感が低下することがあります
    今の施設は<小規模多機能ホーム>なのですが、本人は仕事の寮と信じています。
    でももちろん仕事は無いですから、やることないからこの仕事辞めるといつも言います。
    やはりずっと仕事をしてきた人が、気持ちのよすがになるのは仕事をしている自分、必要とされている自分なんだなあと、父を見ていて感じます。

隣の芝生は青い

隣の芝生は青いといいます。

父はいつも言っていました。いとこのだれだれは長男がいてうらやましいと。
おそらく一番は自分に対して、なぜ俺に孫を抱かせてくれなかったということだと思います。

これを無いものねだりと切り捨てるのも、どうかと思います。でも、ほしいものすべてが手に入るというのもあり得ない話。

お釈迦様は「求不得苦」 求めても得られないことを「苦しみと感じる」といいました。

仏教の「一の矢・二の矢」の教えは、一の矢、つまり避けられない失敗や病気、不運な事故はしょうがない。
二の矢、つまりそのことで自分を責めたり、必要以上に怒ったりする自分で作る苦しみを防ぎなさいと。

結局苦しみは自分で大きくするもの、父は自分で自分が不幸な人だと信じたのでしょう。

自分の息子が結婚もしなかったのが一の矢なら、それで俺は不幸なんだと感じたこと。結局父を苦しめたのも二の矢でした。

二の矢は痛いからね

冷たいわけではなく父のこと、ただそのまま見よう、二の矢は自分で作るもの、ついつい使ったとしても、ああこれが二の矢なんだなあと考えられたら少し楽になれそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました