日々食べる食事が自分自身を作る
日々食べる食事が自分自身を作ることは、あまりにも当たり前すぎてしばしば蔑ろになっています。
でも情報はあまりにも巷に溢れ、何がほんとうに必要なことなのか、なかなか見えてきません。
テレビを見れば、これさえ食べれば大丈夫といろいろな食材、サプリメントが紹介され、多すぎる情報に流されてしまいます。
でもふと考えてみました。
まず、考えるよすがとなる基本的な考えを述べてみます。
自分の中では、現在の医学の考え方に疑問を持っています。いや違う、医療に対する私たち自身の考え方だ。
医学に対していろいろな見方をしてみる
もちろん医学自体を否定するつもりは毛頭ありません。
医学が人類に貢献してきた実績は非常に大きなものがあり、現在の人類の繁栄と切っても切れない関係であることは間違いありません。
それでもあえて言いたいことは、どうも体を機械の部品のように考え、治療は修理だというようなニュアンスを感じてしまうことです。
以前母が癌になった時にも感じたのですが、がんを治すために抗癌剤を飲ませ、そのお陰で別の臓器の機能が落ちたことがありました。
つまり体全体で考えず、ある一部(この場合はがん)を治療することが目的になってしまうようなことがしばしば起こっていることです。
病気の定義とは何でしょうか。ある状態になったことが病気なのか、体の機能が落ちたことが病気なのか。
また、例えば高血圧や、悪玉コレステロールやら、目の敵のように嫌う風潮はどうも馴染めません。
悪玉コレステロールって一体何?って考えてしまいます。
体が創りだすものを悪玉って命名することの不自然さに、腹立たしささえ感じます。
高血圧も体が必要だと判断したから血圧を上げたわけで、それを薬で下げるのはどういうことと思ってしまうのです。
こういう考えが正しいのかはわかりません。
ただ、自分で納得しながら進んでいきたいと思うので、基本的な考えを明確にしてみました。
このことにかぎらず、自分は善とか悪とかの立て分けがあまり好きではありません。主語があるのにもかかわらず、常に省略されるからです。
誰かにとって善や悪はあるけれど、常識だと言いはる言い方に抵抗を感じます。
そういう考えでこのブログは進めていくことになると思いますので、ご不快に感じられる方もいるかと思いますが、そこはご容赦ください。
それを踏まえたうえで、調べて、また自分でも実践していきたいと思います。
ほう、昔はこんなこと考えていたのか
という文章を10年ほど前に書いていて、たとえば、薬で血圧を下げるのはどうかとなどと、他人事として書いていたのですが、自分がいざ入院し、それ以来薬を飲み続けることになった時、何を感じるだろうと、続きを書くことにしました。
体が求める声を聴けたら
おいしいものを食べると人は幸せを感じます。他人といがみ合っても、おなかが満たされると腹立ちも収まります。
つまりは食べるということは生命を維持し、体を作るだけではなく、人として生きていくうえで大きな影響を与えているのです。
栄養を取り入れるだけなら、本来おいしいと感じる必要はない。なぜ少しでもおいしいものを作ろうとするのか。
同じものでもおいしいと感じるときとあまり感じないことがある。
これは何を意味しているのでしょうか。
現在一年中あらゆる食材が手に入る日本という国において、食材を選ぶ基準は今何が食べたいのかということだとは思います。
体が決めているのでしょうか、それとも心が決めているのでしょうか。
心が決めるということはどういうことなのでしょう。
体が求めている栄養を無視し、ただ好みだけで選んでるとしたら、それはもはや体を作る食材ではなく体に害をなす毒となってしまうのではないのか。
甘いものを食べ続ければ体を壊すことは、もう常識になっています。
食材はすべからく毒であり薬であると考えてみると、どんな食材でも偏った摂取は体に害をなすものになってしまう。
例えば醤油はコップ一杯飲んでしまったら、死んでしまいます。
でも誰もしょうゆを毒とは考えません。適量であれば他の食材を生かしおいしく食べることができるからです。
だからある限られた食材だけをとるダイエットなどはどう考えても体にいいわけはないのではないでしょうか。
体が求める食材を選ばず、頭で考えて(正確には、自分では考えず、誰かの考えをうのみにして)食材を選んでいれば、体が悲鳴を上げるのは当たり前だと考えます。
人は多分昔より体の声を聴くのが下手になってきているのではないのでしょうか。
いろんな情報が氾濫し、自分で考えなくても誰かが自分にとって都合のよい考えを提示してくれる。
自分で考えるとは自分の体が求める声を聴くということです。
自分で考えるための知識のとらえ方
とは言え、やはり誰かの考えやら意見を参考にすることになるかと思います。
参考にした書籍をお知らせします。
幕内秀夫先生は埼玉にある帯津三敬病院の管理栄養士として勤める方です。
全部納得しますというんじゃないけど、考え方、病気や体の見方に共感できることが多いので、いろんな本を読みました。
院長の帯津良一とともに、とても参考になる考えとして、迷ったときに参考にしています。
理屈としての栄養学と、経験の集合知としての栄養学
理屈として栄養学を知らなければ健康な食事をとることができないとしたら、そもそも人類はいままで生をつなげることなどできなかったはずです。
栄養学という学問が確立していない時代はいわゆる体の声を聴きながら食材を選んでいきました。
そこには失敗もあったはずです。知らずに体に悪いものを取得したり、必要以上に摂取したりしたでしょう。
そしてその失敗を積み上げて今に至ります。
人類は失敗をつづけて成功を見つけました。
栄養学も多くの失敗を続けて作り上げたものでしょう。
そしてまだまだ成長し続ける学問であるということ。
つまりまだ仮説段階ということ。
だから大事なことは自分の体が求める声を聴くこと。
そして自分で考えること。
わからないことは栄養学などを参考にすること。
そう考えれば無駄な情報に振り回されずに自分の人生を生きることができるのではないでしょうか。
職業としての食べること
自分が社会に出るときに選んだ職業は飲食業でした。
何も高い思いなどはなく、面白そうだからです。
そもそもコーヒー専門店という嗜好品の提供を目的としていたため、その頃はもちろん食べることに対して何も思うものはありませんでした。
ただそのあとはより料理に携わるようになり、イタリア料理のお店や、居酒屋などを経験していきました。
衣食住という、人間が文化的に生活するために不可欠なものを担う職業である以上、本来はそれなりに責任感やらモラルが必要な職業であるはずです。
しかし昨今では、アルバイトが店の冷蔵庫に入った写真が SNS にアップされたり、食品偽装が話題になったりと話題になっていますね。
でもある意味当たり前かと思います。起こるべくして起こっているのだと。
すべてのビジネスと同じでニーズがあるからはやるわけです。
まあアルバイトのいたずらがニーズがあるというのも変ですが、楽しむ人がいるからニーズが生まれますからね。
でもいたずらはともかく食品偽装の根底にあるものには少し不安なものがあります。
食品偽装は明らかにブランド偏重で、有名な産地ならおいしいに違いないと思い込んでいるから起こるわけで、
大げさに言うと現状の飲食業が抱える問題なのではと思っています。
僕がこの業界に入ったころよく言われた言葉に、地域一番店になれというのがあります。
地域一番店てその商圏の中で一番お店になれということなのでライバルが必要になります。
商圏の中に自分の店だけなら何もしなくても一番店ですから。
ライバルよりいい店を作っても一番店なら、ライバルが落ちても一番店になれます。
新橋あたりで客引きをしている居酒屋などは、ライバル店に行くかもしれない客を引っ張ってくるわけで、ライバルを落としている行為ともいえます。
ひどいところは店長、調理長まで客引きに一生懸命になり、今店にいるお客様をほったらかしという笑えないお店もあります。
特に東京などは狭い地域に多くの店がひしめき合い、似たようなお店が並んでいます。
そこでどう差別化を図るかと悩み、安いことを売りにしたり、いい食材を売りにしたりとそれぞれ工夫します。
そのうちいい食材を使っていないのに使っていると食品偽装をするお店が出てきました。
これを必然というのはあまりに身勝手です。
でも都会での飲食店は本当に厳しい環境で行っているのも事実なのです。
いや、地方の飲食店も大変なのは大変なのですが。
新しいアイディアのお店が出てはつぶれ出てはつぶれ、新陳代謝が早いのも都会の飲食店の特徴です。
多くの失敗から少ない成功例が出てきて、スタンダードになってゆきます。
だから食品偽装がいいとは決して思いませんが、よくある失敗例でしかないとも言えます。
食について考えるために大事なこと
僕は本当の問題点はそれに騙されていた消費者にあると思うのです。
実際問題として僕は大間のマグロと函館で取れたマグロ、食べ比べても違いは判りません。
同じマグロを大間に揚げるか、函館に揚げるか(もちろん本当はそれだけの違いではありませんが)で価値が変わってしまう。
実際は本当の大間ブランドは処理の仕方や、だれがとったかで変わるのですが、消費する側がどこまでわかっているのか。
本当にその違いを分かったうえで求めているのか。
地域ブランドは価値を高める有効な方法とは思いますが、果たしてその価値を分かったうえで求めているのか。
つまり何を言いたいのかというと、食品偽装がこれだけ大騒ぎになったのは、消費者が違いを分かって問題にしたのではなく、だまされたことに腹を立てたのだろうと。
食品偽装はいけません。うそを言って商売をしたのですから犯罪でしょう。
でもありがたがって、本当は必要のない高い金額を払っていた人がいっぱいいたことも事実です。
だますほうが悪いけどだまされることは常にあります。
僕は大間のマグロと、函館のマグロに違いが見いだせないため、大間のマグロに高いお金を払う気になれません。
本来うそをついた商売は、そっぽを向かれ衰退していくのが本筋だと思いますが、ウソが見分けられないことには無駄ですね。
自分の体の声が聞こえますか
自分の体の声を聴く。結局のところ、心や情報が食べたいものではなく、すっかり弱ってしまった体の声を聴いて体が求めるものを食べる。
日々食べるものが自分を作るという当たり前のことを忘れ、メディアなどの他人の言葉や、誰かが決めた、ブランド食材にふるまわされる前に、体が求める食べたいもの、感じ取れるようになりたいものです。

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