「敵をつくって団結する」構造について|敵とは名前をつけただけの「ただの○○」だった

めっきり本を読まなくなった

最近はめっきり書籍を読む機会がありません。

いや、本を読まないという意味でなく、紙の書籍を読まなくなったという意味です。

実際問題ほとんど読みたい書籍はAmazonPrimeでクリックするだけで、追加コストかからずに読めるわけです。

もちろんPrimeに無い本もいっぱいあるけど、これだけ本が増えていくと、Primeの中には似たような内容の本もあってそれで済んでしまうことがままあります。

例えば私はPythonのプログラム勉強しているんですけど、さがせば、だいたいPrimeの中にあるんですよ。

まああくまでも自分の傾向ということで、小説などそれしかないものは仕方ないけど、あまりそういうものは読まないので困らない毎日です。

そんなことを考えたのは、先日本棚を整理して(それさえすることがなくなったのだけど)ふとある本を見つけたからでした。

本棚に見つけたもの

「日蓮正宗 教学小辞典」そんな文字が書いてありました。

初めて読んだとき宗教ってこんなにも理論的なのかと、圧倒されました。

三証、五重の相対、一念三千、それぞれ後日書こうと思いますが、今回は、「四箇の格言」について書いてみようと思います。

その中で書いたこと。

創価学会で学んだことの中で一番大切だったのは、自分の頭で考えることでした。

その教えを本気で実践した結果、皮肉にも創価学会を離れることになりました。

それは自分としてはとても大きなことでした。
ただ単に飽きたから離れたんじゃないんです。

今まで考えていなかったこと

  • 最初は宗教は信じるものという思い込みを、自分で考えることを知ったこと。
  • 宗教を正邪で考えていた自分、それは二元論から陥るただの勘違いだったこと。

そして先ほど見つけた本、まさしく宗教を正邪でとらえていた時のまさにバイブルでした。

四箇の格言のもつ理論構築 エコーチェンバーの中にいた私

例えばまさに二元論的な論理構成として「四箇の格言」という言葉があります。

四つの格言と批判の対象

• 念仏無間(ねんぶつむげん)

    • 対象:浄土宗(法然など)

    • 意味:法華経を捨てて阿弥陀仏の念仏ばかり唱える者は、無間地獄(むげんじごく)に落ちるという批判。

• 禅天魔(ぜんてんま)

    • 対象:禅宗

    • 意味:座禅による悟りを説く禅宗は、教えに迷う天魔の所業であるという批判。

• 真言亡国(しんごんぼうこく)

    • 対象:真言宗

    • 意味:国家の加持祈祷に頼る真言宗は、国を滅ぼす邪法であるという批判。

• 律国賊(りつこくぞく)

    • 対象:律宗

    • 意味:形式的な戒律を厳しく守る律宗は、国家を害する賊のようなものであるという批判。

つまり意味の部分を見ていただくと、○○なXXは > こうなる
という論理展開ですね。こうなる の部分は一方的な決めつけでしかありません。

○○の部分はそれぞれですし、どのXX(宗派)でも多くの理論背景があるのを、バッサリと二元論的に矮小化して切り捨てる。

自分で考えない人には痛快ですが、あまりにも底の浅い論破です。

当たり前ですが、浄土宗にしろ、真言宗にしろ四箇の格言をまちがいだと論破しているわけだし。どちらも自分は正しい、だからあんたは邪だとお互い言い合っているわけです。

でもあの頃の私は、なるほどすげーって信奉していたんですよ。他の方々が論破してるなんて知らなかったからね。いわゆるエコーチェンバー効果で、俺たちだけが正しいという世界にいたから。

今自分なりに内容を精査してもおかしいなあとは思います。しかしもはや、それぞれの言い分などどうでもいいんです。

しかし今回はこの論理構成が、二元論からくる、敵を作ることでまとまろうとする、まさに今の世界にはびこる病巣という視点で述べました。

ある意味大乗仏教の持つ、敵を作る理論構築はまさに、今のEUや国連の思考と同じ基調なのではないか。

ロシアとウクライナを見るまでもなく、お互いの憎しみからは憎しみしか生み出しません。

同じ失敗に苦しむ人々

第一次世界大戦で、世界がドイツにした仕打ちが、ナチスというより大きな悪を作りました。

人類は何度も失敗しているのにまた、同じ失敗につながるのではないか。

あの頃の思い出。今思い出しても恐ろしいなあ。
自分本当に鳥居くぐれなかったんですよ。
鳥居くぐると悪いことが起きると本当に信じ込んでいたんですよ。

「鰯の頭も信心から」という言葉があります。
本人が深く信じ込めばありがたいもの・価値があるものに感じられるということ。

私の場合は、その逆でした。「四箇の格言」や「五重の相対」を信じていた頃の私は、鳥居に「悪いものだ」という名前を貼って、本当にくぐれなくなっていました。

先日面白い本を読みました。これは紙の本です。ネットで見て頭にあったんでしょうね。

本屋で見つけてすぐに買いました。

今度じっくり感想など書いてみたいのですが、その中に書いてあったこと。

「空」の概念の説明のなかで、ただの「土」がある形に焼き上げることで「カップ」になる。

それでもただの土、花を挿せば花瓶に、売りたければ商品に、いらないと感じればごみに。

そこにいるのは、ただの人。

そうだよね。

世界で敵を作る人、その考えは勘違いだよ。

あなたが勝手に名前を付けただけの、ただの○○だよ。つけた名前がなければ、ただの○○。
そう、それは誰かが作り出したもの。

敵という名前をつけたのは、いつも誰かです。その名前をはがせば、そこにいるのは、ただの人。そう思えるまで、私には少し時間がかかりました。

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