先日の高市総理の国連演説は、多くの人の心に大きな何かを残しました。
もちろん高市が日本を間違わせているとヒステリックに叫ぶ人もごくわずかいますが、多くの人には、個人的な政治傾向はどうであれ、本物の政治家とはこういうものなのかと、初めて目の当たりした人も多かったでしょう。

私もそんな一人でした。
彼女の政治信念すべてを無条件に信頼するとは言いません。彼女に感動した人もそうでしょう。
でもそれでいいのです。違うことも含めて、彼女を応援しようと、きっと多くの人が感じたことでしょう。
だからそれを踏まえたうえで、政治信念とは違う、彼女を含めた多くの政治家が陥っているあまりにも恐ろしい点について述べてみようと思います。
二元論を苦しみの根源と見破り、縁起という認識を示す
シッダルタは、世界を「善/悪」「味方/敵」「正義/不義」という固定化された二元論で捉えること自体を、苦しみ(無明・煩悩)の根本原因と見なしました。すべては相互に影響し合って存在する(縁起)という認識に立てば、「絶対的な悪」を外部に作って排除しようとする行為そのものが、新たなる執着と対立を生む連鎖にすぎないと気づきます。
今回やはり感じたこと、ロシアとウクライナのこと、やはりどうしても片方に寄り添うことが、相手を絶対的な悪と定義することでしか成り立たない。
ロシアは悪くないというつもりなどありません。
これを立場から見ればどちらも自分にとって正しいことを言います。
お花畑の人のように、話し合えば解決するとも思いません。解決しないからこうなっている、そのことを見ないようにしてr、もっと話し合えばなどというのは、まったく現実を無視しています。
もちろん解決させないために話し合えというのもあまりにもありきたりの、問題をこじらせるやり方です。
結局多くの政治家にとって、解決しないほうが自分にとって有利だというスタンスがあるうちは、解決しないでしょう。
つまり二元論から離れなければ、「善/悪」「味方/敵」「正義/不義」のスタンスから離れなければ解決しない問題なのだと思います。
それを実現するポイントはどこか、もしかしたら、一神教からの決別なのかもしれません。一神教は二元論で作られた宗教だからです。
「宗教化」と「敵の創出」という変質
制度としての宗教や大乗仏教の発展過程において、教義の権威化や集団の結束を図るために「正統と異端」「救う者と救われない者」、ひいては「敵と味方」という枠組みが持ち込まれていった歴史があります。
人間シッダルタが目指した「自立した個人の心の平安(自灯明)」から離れ、集団を束ねるための「物語(ナラティブ)」へと変質したとき、宗教も政治と同じように「敵を作る装置」になり得るという危惧は、静かに静かにくすぶっています。
たとえば二つのレイヤの違う言葉を見てみましょう。
シッタルダは「自灯明、法灯明」といいました。
自分自身と、世の理を灯明として進みなさいと。そこには、私はえらいからとも、私の弟子が偉いからとも言っていません。
対して、多くの仏教の考えには「仏法僧の三宝」という言葉があります。
法はともかく、仏と僧侶が宝だという考え方です。
教義の権威化や集団の結束を図るために、教義を作った人(仏)が偉い、それを伝える幹部(僧侶)が偉いと言い出してしまいました。
もうこれで、シッタルダいや、ブッダ自身が言ったことに背いています。
現代政治・国際秩序との恐ろしいほどの符合
演説に見られる「自由と民主主義(善) vs 力による現状変更(悪)」といった構図は、現代の国際社会を動かす上で強烈な求心力を持ちます。
しかし、ひとたび相手を「悪」と断定すれば、自らの正当性を疑う思考は停止し、対話の道は閉ざされます。
この「正義による排他性」の危険構造は、まさに大衆化した宗教や政治的イデオロギーが陥りがちな共通の罠と言えます。
個人的な見解ですが、それに一番取り込まれているのはEUと国連だと考えています。
今回正直に言うと近年初めて出てきたまともな政治家としての高市早苗という一人の人間。
その偉大な人でさえ乗り越えられない、二元論での世界の見方、この呪縛の重さに愕然とします。
これは高市さんの政治信条が間違いだというレベルの話ではないのです。
それは昔の日本に確かにあった、八百万の神への深い畏敬の念でしょうか。
いや、おそらく高市さんには本当の畏敬の念はしっかり根付いているでしょう。
だとしたら、それはいったい何なのか。
いまのままでは、ロシアとウクライナ、どういう落としどころになっても、相手を恨み続けるでしょう。
もっと別の見方をすれば、中国(あそこを中国というのは少し違和感がるのですが)がウイグルや、チベット、南モンゴルに対して行っていること。
どういう落としどころになっても、かならずぶり返しが起こります。
その憂いをなくすためにウイグル民族を消滅しようとしているなら、力関係が逆転すれば自分が同じ目にあいます。なにより、シナと呼ばれる地域の歴史はいじめられたからいじめ返しを繰り返し、まさしく今のあの地域のアイデンティティとなっているのです。
そしてそれを止められない世界、そんな中で、もしかしたら高市さんだけが、少しだけそれに声を上げた。それに心からの称賛を捧げます。
きれいごというつもりもありません。現実的に声を出せないこといっぱいあります。
それでもその縛りの中で、必死にあがいている高市さんを応援しようと思います。

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