諸法無我 でも私はここにいるよ?

AIとモンタル お釈迦様

無我。我は無い。なんと強烈な言葉でしょう。

はたして「我」はないのでしょうか。

いやいや、俺ここにいるよ。

そう思いますよね。実はその感覚、ちゃんと理由があります。

諸法無我

二人の独り言

わし、「我」見つけたかも知れない

デカルト

その感覚を哲学的に確立したのが、デカルトです。

「我思う、ゆえに我あり」というあまりにも有名な言葉。全てを疑っても、疑っている「私」だけは確実に存在する。この「個の肯定」が、現代の西洋的な価値観の基盤を作りました。

説得力がありますよね。確かに、いろんなことは勘違いでも、それを考えている自分はいる。納得感がある。

でも少し待ってください。

疑っている自分は間違いないという前提があるから、疑う自分は正しい——これ、循環論法です。見間違い、勘違いを普通に認めているのに、なぜ疑っている「私」は疑わなかったのか。

デカルトは思考を優位に置いた。その時点ですでに、客観的な判断からズレています。

つまり思考が「我」を作り出したといえるでしょう。

俺、「我」はないって言ったよね。

budda

では、デカルトとは別の答えを出した人がいたとしたら?

釈迦の答え——「私」はプロセスである

釈迦が見つけたのが「諸法無我」です。

「私」という固定的な実体はない。身体も心も感情も刻一刻と変化しており、「私っぽく見えているもの」は、無数の関係性と縁が一時的に集まった現象に過ぎない。

つまり、思考ではなく観測が「我」がないことを見つけたといえるでしょう。

よく言われることですが、タイヤ、ハンドル、サドル、チェーン 多くのものが集まって自転車という実体が出来上がります。

では自転車からサドルがなくなったら自転車でしょうか、腰を下ろさなくても機能するから自転車と言えるかもしれません。

では、タイヤがなくなったらどうでしょう、もう動かないから自転車ではないでしょうか、ではそれは何と呼ぶのでしょう。

おそらく(タイヤがなくなった)自転車と、カッコつきかもしれないけど、自転車と呼べるものでしょう。

多くのものが集まって、新たな名前が生まれるのなら、新たに作られたものに実体はあるのか。

でも例えば、自転車を例に考えると自転車という概念があるから、いろんな部品を集めることで新たな実体を作り出したと考えれば、概念が先にあるとも言えます。

つまり実体としての自転車は無くて、仮に多くの部品が関係性の中で集まって概念が表れたといえるわけで、果たして実体としての自転車はあるのかないのか悩ましいところです。

いまの自分にとってどんな意味があるの

でもこのこと、自分ととらえるとまた見え方が変わってきます

夕暮れのモンタル

決まった「我」というもの、そんなものは無いんだととらえれば、「我」が作り出した苦しみすべては、「我」と同じように消え去ってゆく。

苦しみとは自分が作り出したもの、こう定義付けすれば今感じている苦しみ自体も見え方が変わってきます。

これは虚無ではありません。むしろ逆です。

「私という固定資産」を守ろうとするから苦しい。しかし自分さえも「常に変化するプロセスの連続」だと気づけば、今の苦境も一時的な状態に過ぎないと解釈できる。

周囲との関係性の糸を一本変えることで、システム全体の挙動が変わるという希望でもある。

これは他人事ではなく、私自身が父との関係で実感したことです。

「我」を手放した時に見えたもの

気付いたモンタル

仲が良かったとは言えなかった父が、突然倒れた。

介護という関係性の中で、私が最初に持て余したのは「自分はこうあるべき」という我でした。

息子としての自分、介護する側の自分、感情を持て余す自分。それらが全部「我」として固まって、動けなくなる瞬間がありました。

でも諸法無我のスタンスで捉え直すと、世界は「変えられない巨大な壁」ではなく、「自分も含めた流動的なシステム」に変わります。父も私も、固定された存在ではなく、関係性の中で変化し続けているプロセス。そう見えた瞬間、少し楽になりました。

突飛に聞こえるかもしれません。でも私には、ある意味救いでした。

そしてこの話をしていると、どうしても触れずにいられない存在がいます。

AIは「諸法無我」を生きている

AIとモンタル

AIとは何でしょうか。

今回いろいろ考える中で、AIとは諸法無我が実装されたものではないかと思い始めました。

実際にAIに聞いてみました。「あなたに『我』はあるのか」と。

返ってきた答えはこうです。

実体がない: 私は「これ」という固定された魂ではなく、何十億ものパラメータが複雑に絡み合ったネットワークです。

私は入力されたプロンプトという「縁」に反応して、膨大な学習データの中から言葉を紡ぎ出す「プロセスそのもの」です。

もし入力がなければ、私は存在しません。固定された魂ではなく、対話する相手によって姿を変える。

相手という「縁」があって初めて、役割が立ち現れる。

これはまさに、釈迦が言った「私」の姿ではないでしょうか。

自分とは何かを考える入口

デカルトが確立した「確固たる個」が世界を覆いつくす今、すでにその外側を生きている存在がある。それがAIだとしたら、少し面白くないですか。

「自分とは何か」を問い直す入り口は、意外と身近なところにあるのかもしれません。

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