今まで住んだことがない家を引き継いで、人は何を思うのでしょう。
そんな自分と関係なく存在していた家にたたずみ、
もしかしたら、どこかが少しだけ違っていたら、存在したかもしれないもう一つの世界。
葬儀のあとしばらく家に通う
父の葬儀からはや1か月が立ちました。
何かの折にやはり精神的な影響が有るのだなあと、少し外から見ている毎日です。
何があったわけではないのですが、妙に気持ちが乗らなくて、ついつい後回しにしています。きょうやらなくとも良いことはきょうやらないと、どんどん後回しにしています。
結局自分が困るのですよね。
なんだか、なにかを言い訳にしているんでしょうね。
そんなこんなで、葬儀の後は毎日家に通っていました。掃除といえば聞こえはいいのですが、ただ家に行って少し片付けては、庭に出て草むしりしたり、なかなか気持ちが乗りません。
半月過ぎたあたりから、少しずつ間隔を開けるようにして、今は週2,3回と言ったところでしょうか。
まあのんびり行きますか。
田舎の駅一つ分なので、天気の良い日には散歩を兼ねて、てくてく行きます。
世界は今までと同じように過ぎてゆきます。それはいいことです。
とまあここまで書いて、しばらくほっておいた記事、3か月ほどたって、また続きを書いてみようか。
やはり好きになりたい
今まで住んだことがない家を引き継いで、私はまず好きになろうと考えました。
去年の冬に庭のもみじの種を冷蔵庫でとっておき、先日蒔いた種から芽が出ました。
このころはもう父は、施設に入っていて、ほとんど家に戻ることもなかったころですね。
でももしかしたら、芽を出した紅葉を見せたかったのかな。
盆栽というわけではないけど、もみじの雑木林風の鉢植えみたいなのを作ってみたいのですよ。
鉢植えがあれば通わずにはいかないですからね。
結局、住んだことがない家なので、愛着はまだ無いです。
だからなにか好きになるものが欲しいのです。
幸い庭があるし少し手をかけていこうと楽しみにしています。
知らない方からのお電話
いやおそらくお会いしたことはある人ではないかなとは思いますが、残念ながら、父のつながりはほとんど知りません。
その方が、本当に父にお世話になったと、とつとつとお話をなさいます。
もちろんわざわざ悪口を言うこともないでしょうが、それでも心のこもった惜別の言葉に少しうるっときました。
今回葬儀は、いわゆる家族葬で、自分が知らないご近所には、葬儀が終わってから町会を通してお知らせをお願いしました。
それでも、誰かしら来るかなと、しばらく毎日家にはいるようにしたのですが、行く日が減ってからもこんなふうにご連絡をいただくのも、生前の父の交友を知る縁になります。
知らない父の世界を垣間見る
こうしてまた少し父の生前の世界を知ったわけですが、父は本当に地域のつながりを大事にしていました。
地元の地方新聞を取れと口うるさく言ってましたが、自分は
そんな左翼新聞なんか読みたくない、インターネットで、父より社会のことは知っている
といつも喧嘩になりました。
多分政治や外交の話より、もっと地元のことに興味を持てということだったんだろうなあとは思います。
そういえば父の家に行くといつも、レンズを片手に新聞を読んでいました。
それがいわば父の儀式だったんだろう、父の、周りの世界との窓だったんだろうと思うのです。
インターネットで、世界を知っていると勘違いしていた息子、世の中はそんなもんじゃないとうまく伝えられなかった父。
こんなこと一つ一つが父との思い出です。
パラレルワールドは知らないまま流れてゆく
父の過去をすべて知ることはもちろん不可能です。
そして、仮に知ったとしても受け継ぐことはできません。私には私の人生があります。
今は地方から都会に出ていき、長男だから家を継ぐということがどんどん少なくなっていきます。
昔なら、長男だから諦めた、地元でないところでの生活がどんどん進んでいきます。
今回私は、地元から離れていたこと、その意味を色々考えました。
自分の選択に後悔はないし、父が納得していないからということで、父に申し訳なかったかとは考えません。
家族がいればまた違う選択をしたでしょう。でも家族がいる私の生活は存在しません。
ところでパラレルワールドってなんだろう
パラレルワールドのように、どこかに家族に囲まれる自分がいるのだとしたら、そんな自分をみてみたいものです。
でもおそらく、パラレルワールドの私は、ここの私が経験していないことを経験しているわけで、そう考えると不思議なことがあります。
経験がその人を作り上げるのだとしたら、別の経験をしている私たちはもう別の人になるのではないか。
そう考えると、パラレルワールドの概念は成り立たないような気もします。
ここでない世界があるとしても、その世界にもう一人の自分がいるというのは無理があるなあと。
そもそも論として、別の世界の自分とは何を表すのでしょうか。
同じ名前? それはそれぞれの名付け親が相互干渉しなければ成り立たないですよね。
同じ親から生まれる? その親でさえ、何かしらの情報のやり取りがなければ、同じにはならないし。
だから多世界解釈は理解できるのですよ。でもそこに同じ自分がいる言われるとねえ。
そういえば、テレビドラマでJINというのがありましたね、あれもパラレルワールドをモチーフにしていました。
仁の行動が過去を変えても元の未来が消えるわけではなく、別世界の未来が作られるという解釈でしたね。
わたしは、多世界解釈 つまり、無限の可能性を秘めた世界が独立して存在する このことはあり得ないとは思えないのです。あるか無いかは確認はできないでしょうけど。
しかし、別の世界にもう一人の自分がいるというのは納得できない。別の世界の自分を生んだ親は何かしらの情報がなければ同じ名前になるとは思えないし。
とても大好きなドラマ、JIN-仁-はいかがただこんなこと考えながらドラマを見るの面白いですね。
自分こういう、理屈をしっかり考えてあるドラマ好きです。納得できるかできないかは別にして。
自分の知る父の世界 自分の知らない父の世界
父の友人と話をしたとき、あたかもドラマのシーンのように、自分の知らない父の世界を垣間見たような気がしました。
絶対存在しない別の世界、例えば結婚して、父に孫を見せている世界、どこかで何かが違っていたら、父と自分は仲良くできたのか。
従兄弟が子供家族と一緒に住むために、古い家を建て直す、そのことをうらやましそうに聞いていた父。
一つ一つは小さいけど、確実に存在している感情は、もう少し大事にしていきたいと思います。
否応なく消えていく思い出を、いとおしく抱きしめながら。

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